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第021回 2006/06/30
蘇る半世紀前のステレオ録音
─ ヴァーグナーの「指輪」4部作

DISC21

英テスタメント SBT41392(4)
リヒァルト・ヴァーグナー
楽劇『ジークフリート』(全3幕9場)

ヴィントガッセン(T), ヴァルナイ(S), ホッター(Br), ナイトリンガー(Br), キューン(T), グラインドル(Bs)ほか
バイロイト祝祭オーケストラ&合唱団/ヨーゼフ・カイルベルト(指揮)

(録音:1955年7月26日 バイロイト)


 1955年夏、バイロイト祝祭劇場において世界で初めて“ステレオ”によりライブ録音されたヴァーグナー畢生の大作「ニーベルンゲンの指輪」の中、先ず「ジークフリート」全曲が、今年(2006年)4月になって漸くCDの形で日の目を見ることになった。引き続き、数ヶ月毎に「ヴァルキューレ」「ラインの黄金」「神々の黄昏」が相次いで発売され、年内には「指輪」4部作全曲が完結予定で、さらにCDに続いて、驚くなかれLPでも順次リリースされるということである。
 半世紀も前の名演が、何故かくも長い間、お蔵になっていたかも不思議であるが、ともかく世界のヴァグネリアンにとっては、待望久しき画期的なビッグ・ニュースというべきであろう。
 ご存知の通り、従来、長い間世界最初の“ステレオ”「指輪」4部作といえば、英国デッカのプロデューサー、ジョン・カルショーにより1958年から1965年までの8年間の長い歳月を費やして制作されたスタジオ録音だった。当時として最新の音響技術上の試みや効果音がふんだんに盛り込まれた不朽の名録音といわれたものである。
 今回発売された録音も、55年当時の英デッカが誇る録音スタッフ、ゴードン・バリー、ケネス・ウィルキンスン、ロイ・ウォレスなど錚々たるエンジニアたちによるもので、勿論悪かろうはずはない。制作は、ピーター・アンドリー。バイロイト祝祭劇場らしい残響音とともに、ライブ録音に相応しく極く自然なステレオ臨場感が心地よく、まるで今採られたような鮮度が感じられる。
 しかも、件のデッカのスタジオ録音では、やむを得ないことだが、同じジークフリートを歌うヴィントガッセン(1914〜1974)、アルベリヒ役のナイトリンガー(1910〜1991)以下、やや円熟期を過ぎていたし、ブリュンヒルデ役のヴァルナイ(1918〜)やヴォータンを最高の当たり役としたホッター(1909〜2003)は既に第一線を退き登場していない。指揮者ショルティも、やや肩に力が入りすぎていてヴァーグナーの様式感とはちょっと違うのではといった評や指摘があった。
 これに対し、今回のテスタメント盤は、録音当時の1955年、ジークフリート役のヴィントガッセン、さすらい人(ヴォータン)役のホッター、アルベリヒ役のナイトリンガー、ファーフナー役のグラインドル(1912〜2003)以下が40歳代、ブリュンヒルデ役ヴァルナイは30代と何れも全盛期だった。そして、正統派として知られた指揮者のカイルベルトもまた40代である。但し、この日本では比較的認知度の低いドイツの指揮者については、若干補足説明が必要かもしれない。
 1908年4月、ドイツのカールスルーエ生まれのカイルベルトは、同地の音楽院で学んだ後、1935年、27歳の若さで同地の国立歌劇場の音楽監督に就任。大戦後は、45年にドレスデン国立歌劇場、バンベルグ交響楽団、ハンブルグ・フィルなどの音楽監督を経て、51年以降、バイエルン国立歌劇場、52年からはバイロイト音楽祭を指揮するなど、ほとんどドイツ国内に留まって活躍し、しかもヨッフム、ケンペなどと共にヴァーグナー演奏の伝統を継ぐべき指揮者の一人と目されていた。レコードでは、交響曲を中心にテレフンケン・レーベルに残している。68年、ミュンヘンでヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を指揮中 心臓発作で急逝したが、65年には日本を初めて訪れ、N響を指揮、死去の年、68年にはバンベルグ響とともに来日して深い感銘を与えた。ヴァーグナーを初めとするオペラを得意とし、しかも曲目の中心をドイツ・オーストリアに限定。表現はどちらかと言えば重厚かつ堅実、音楽の流れは極めて自然で作為を感じさせない。しかし決して職人型の指揮者ではなかった。いろいろな意味で、広大なレパートリーを誇り、メリハリを存分に効かせてスタンド・プレイに徹した同じ年生まれの人気指揮者カラヤンとは、常に対極にあったと言えよう。今回のCD発売を契機に、この指揮者の素晴しい真価が改めて見直されることであろう。

 さて、この楽劇「ニーベルングの指輪」、舞台が、神々の天上界、人間の地上界、傀儡族の地下ニーベルハイム界に及び、登場人物も多く、ストーリーも多様を極める。正式には「序夜と3日間の舞台祝典劇」と呼ばれ、「序夜」の「ラインの黄金」に始まり、「ヴァルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」の3作が続く全4部作から成り、上演には、計15時間ほどを要する。
 ヴァーグナーが自ら台本を書き始めて以来、作曲完成までに実に22年を費やし、更に膨大な資金と労力の果てに、1876年8月、自身の手で新装建立なったバイロイト祝祭劇場において漸く全4部作の初演が行われた。この第1回音楽祭には、ヨーロッパ中から各界名士が集まり、当時の一大事件となった。
 全体で3番目に当たる「ジークフリート」は、全3幕9場、所要時間約4時間。前作「ヴァルキューレ」の中で、神の長ヴォータンが人間に生ませたジークムントとジークリンデの子、英雄ジークフリートとヴォータンの娘でありながら、彼の逆鱗に触れて眠らされていたヴァルキューレ(女戦士)の一人、ブリュンヒルデが主人公で、話も4部作の中では一番すっきりしている。以下 簡単に触れておきこう。
 地下のニーベルング族の鍛冶屋ミーメに養われていたジークフリートは、実父ジークムントの形見である名剣を鍛え直し、この剣で大蛇となって指輪と黄金を守っているファーフナーを殺してそれらを手にする。その間、同じく指輪と黄金をつけ狙うニーベルング族の長、アルベリヒが悪党らしく見え隠れし、さすらい人となっているヴォータンと対決したり、ミーメと争ったりする。大蛇の血をなめたジーグフリートは、小鳥の声が分かるようになるが、それにより義父ミーメの腹黒い陰謀を知ってこれを退け、さらに小鳥の言葉に従って、ブリュンヒルデの眠っている岩山へと急ぐ。途中、ヴォータンに邪魔をされるが、剣で彼の槍を打ち砕く。燃え盛る岩山にたどり着いたジークフリートはブリュンヒルデを目覚めさせ、二人は結ばれるが、ここまでが楽劇「ジークフリート」である。
 音楽は、ヴァーグナー独特のいつ果てるともない無数のライトモテイーフ(示導動機)の連続によって構成されるが、流石に戦後最高のヘルデン・テナー、ヴィントガッセンと不世出のヴァーグナー・ソプラノ、フラグスタートの後継者といわれたスェーデン生まれのヴァルナイの二人は、声も若々しくこの難曲を最後まで緊張感をもってほぼ完璧に歌いきっている。さらに、最高のヴォータン役者、ホッターが長としての威厳のなかにも、やがて訪れる黄昏を予測させるような枯淡味をみせるし、シニカルな悪役アルベリヒを当たり役としたナイトリンガーもこの頃がベストの状態であろう。ミーメ役のキューン、ファーフナー役のグラインドルも何れも好演。

 それにしても、何故このような録音が半世紀もの間、お蔵になっていたのだろうか。
 1つには、英デッカのプロデユーサー、ジョン・カルショーが、いずれ自ら「指輪」全曲をスタジオ録音で完成させることを計画していたからとか(事実その通り実現されたが)、否、競争相手だったEMIのプロデユーサー、ウォルター・レッグが、バイロイトでの録音権を保有していたことや、この録音に出演しているEMI専属歌手の契約問題を盾に、英デッカに対し許可を出さなかったからなど、未だ真実は闇の中である。いずれにせよ、ヨーロッパを代表する2大レコード会社の2人の名物プロデユーサーがこの名盤のお蔵入りに絡んでいることだけは確かであろう。
 ともあれ、半世紀後にせよ、ステレオによる全4部作が、こうした形で日の目を見ることは何よりも喜ばしいニュースだし、これから後に予定されている「ヴァルキューレ」以降が 益々楽しみである。

 ジャケットの写真は、言うまでもなく、「ジークフリート」を歌うヴィントガッセン、とここまで書いたが、今やどのレコード雑誌にも宣伝用に使用されているCDボックスの表紙をそのまま掲載するのも如何にも芸がない。従って、ここでは代わりにボックス内に収まっているマニュアルの表紙を転載することにした。こちらは、ジークフリート役のヴィントガッセンとブリュンヒルデ役のヴァルナイである。撮影は、ジーグフリート・ラウターヴァッサー、レイアウト/タイプセッテイングは、ドン・マラッフリン。