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第003回 2005/12/18
ビートルズとビートルズ世代─40年の軌跡

DISC3

英パーロフォン PMC 7009 (1966 EMI RECORDS LTD.)
『リボルバー』

タックスマン/エリナー・リグビー/アイム・オンリー・スリーピング/ラヴ・ユー・トゥ/ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア/イエロー・サブマリン/ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ/トゥモロウ・ネヴァー・ノウズ
など 計14曲

(発売:1966年8月  録音場所:EMIスタジオ)


 今から40年ほど前、ちょうど筆者がニューヨークに赴任したころ、世界中は“ビートルズ旋風”の真只中だった。当時のビートルズ関連の年譜を列記してみよう。

1960年
8月
Whiteビートルズ結成と最初のハンブルグ公演。
1962年
1月
Whiteブライアン・エプスタイン、マネージャーに就任。
 
10月
Whiteデビュー・シングル「ラブ・ミー・ドウ」発売。
1963年
2月
White2枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」がイギリスのヒット・チャートで1位。
 
3月
Whiteファースト・アルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」発売。
1964年
1月
Whiteアメリカのチャートで「抱きしめたい」が1位。
 
2月
WhiteアメリカのTV番組「エド・サリヴァン・ショー」に初出演し、72%と空前の視聴率となる。
1965年
8月
Whiteニューヨーク、シェイ・スタジアムでのビートルズ最大の公演(観客動員数5万6千人)。この時のアメリカ・ツアーは17日間で30万人を超える。
 
10月
WhiteMBE勲章を受ける。
1966年
6月
White初来日、日本武道館で5回公演。
 
8月
Whiteサンフランシスコで最後の公演。
1967年
8月
Whiteマネージャー、エプスタイン死去。
1970年
4月
Whiteビートルズ事実上解散。

 1965年後半、ビートルズのコンサート活動はピークを迎えていた。そして、ビートルズに対するあの叙勲である。推薦者は、時の首相ハロルド・ウィルソン、主な理由は「外貨獲得の功績」だった。
 保守王国・英国では議論沸騰し、叙勲者の大半を占める政治家や軍人からは、労働者階級出身の若いロック集団、ビートルズに対する叙勲を理由に辞退者まで出る始末だった。ビートルズの面々も当初は、まったく叙勲自体に興味もなく、自分たちの主義主張に反するからと辞退する方針だったが、ここに至って、俄然反撃に転ずることになる。
 ジョン曰く、「戦争で沢山の人を殺して勲章を貰うより、音楽で世界中の人を楽しませて貰うほうがいい。」ポールも云う。「何故、貰うことになったのか分からないが、どうってことはない。勲章を貰ったからといって、立派な人間になれる訳でもない。」これらのコメント、ビートルズ流わさびの効いた強烈な反体制・反権威の表現方法といえなくもない。アルバム「リボルバー」が世に出たのは、その後のことだった。1966年4月6日から6月22日までの2ヶ月半、ビートルズはこのレコードの制作に没頭する。

 叙勲以来、長期休暇をとっていたこともあり、彼ら4人の創作意欲も大いに充実していたし、この録音では、作詩・作曲分野だけではなく、レコーデイング上のテクニックや各種楽器の使用などを含め、新たな実験を行っている。ポールは、弦楽との共演で「エリナー・リグビー」や美しいバラード風の名曲「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」を、ジョージも、インド音楽を取り入れて「ラヴ・ユー・トゥ」やブラスを導入した「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」など3曲を収録する。ビートルズにとって新しいサウンドを目指した意欲的かつ革新的アルバムで、彼らのベスト・アルバムの1つともなった。このアルバムを完成後ビートルズは、日本を含めたアジア、及びビートルズにとって最後のコンサートとなるアメリカのツアーに出掛けるのである。

  このアルバム収録曲「アイム・オンリー・スリーピング」からの一節を下記に掲載するが、何とも象徴的である。

「ぼくは怠け者だと みんなが思ってる だけど気になんかしない おかしいのはみんなのほうだから ものすごいスピードで あちこち走りまわったあと 結局なんの意味もなかったことにあとになって気がつくのだ」
(ジョン・レノン/ポール・マッカートニー) 

 当時の彼らの偽らざる心境であろうが、40年前のちょうどこの詩がつくられたころ 我々は企業戦士として猛烈に働いていた。その効果もあったのか、一時的には確かに物質的に豊かにはなったかもれないが、飽くことなき経済的利益追求の結果、90年代に入るやバブルは脆くも崩壊、今だにその後遺症に苦しんでいるのが実体であろう。 そして40年前、10代後半をビートルズに夢中になった世代、いわゆるビートルズ世代は、戦後のベイビー・ブームによる団塊の世代ともオーヴァーラップするのだが、ここ数年、彼らも大挙していよいよ定年を迎えることになる。

 ジャケットは、ビートルズのハンブルグ時代からの友人クラウス・フォアマンによるもので、モノクロながら自ら描いたイラスト上に写真がコラージュされる。大変優れたデザインで、この年のグラミー賞のジャケット部門の受賞作品。