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第037回 2006/12/24
“モーツァルト・イヤー”の師走─「レクイエム」を聴く

米コロムビア ML5012
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
『レクイエム ニ短調 作品K.626』

ゼーフリート(S), トゥーレル(A), シモノー(T), ウォーフィールド(Bs)
ウエストミンスター合唱団&ニューヨーク・フィル/ブルーノ・ワルター(指揮)

 

(録音:1956年3月10〜12日 ニューヨーク)


 2006年も残すところ後10日ほど、いよいよ年の暮である。
このところ、加齢を重ねるとともに、月日の経過が恐しいほどスピード・アップしてくる感じで、もう年の暮かと驚いてしまうが、さらに、私事ながら今年も親しい人たちが相次いで鬼籍に入られた。義母や従兄、同年輩の友人たちや20代初めからお世話になり付き合っていただいた知人たちである。
 吉田秀和氏だったか、暮になるとモーツァルトの「レクイエム」のことを思い出すという話を以前、氏のコラムで読んだことがある。その理由は、多分12月に亡くなったモーツァルトがその死の寸前まで作曲していたのが「レクイエム」であること、同時にこの不世出の天才の早すぎた死を悼む気持によるものだろうといった趣旨だったと記憶する。
 しかも今年はモーツァルト生誕250周年の年、モーツァルトに始まり、終わらんとするモーツァルト・イヤーだった。吉田氏を見習う訳ではないが、今年の暮は、モーツァルトの「レクイエム」に耳を傾けながら、この天才作曲家とともに、我が亡き係累や知人・友人の冥福を静かに祈ることにしたい。

 ケッヒェル番号626というモーツァルトの全作品中、最後の番号が付けられた未完の曲「レクイエム」は、その作曲に至る経緯からして不可思議にして奇妙なドラマがあった。
 彼が亡くなる年、1791年7月、ウィーンのモーツァルトが住むアパートに灰色のマントを纏った長身痩躯の異様な雰囲気の男が訪れ、身元は明かさずに「レクイエム」の作曲を依頼する。しかも謝礼が高額だったため、そのころ借金地獄に追われていたモーツァルトは、「魔笛」の最終仕上げや新作オペラ「皇帝ティートの慈悲」の作曲に忙殺されるなど、心身ともに疲労の極にあったにも拘らず、無理を承知で引き受けてしまう。ところが、この作品、何故か作曲が一向にはかどらない。やがて、この男を冥界からの使者と感じつつ、自分自身のためのレクイエムとして、死の前日の12月4日まで、昼夜を問わず懸命に努力するのである。結局、未完のまま世を去り、残りはスケッチや生前の指示に基づいて弟子のジュスマイヤーによって完成された。後に真相が判り、その異様な使者とは、この「レクイエム」を亡妻の命日に、あたかも自分の作った曲であるかのように演奏させようとした某伯爵の家僕だったのである。
 この曲は、「イントロイトゥス」(入祭唱)と「キリエ」が完成、続く「ディエス・イレ」(怒りの日)はほぼ仕上がったが、最後の部分「ラクリモーサ」は出だしの8小節のみで途絶えた。こうした未完の作品ではあるが、間違いなく彼の全作品中、最後の集大成であり、最初のニ短調の和声による「レクイエム・エテルナム」以下、「キリエ・エレイソン」の2重フーガ、そして渾身の命を輝かせる「ラクリモーサ」に至るまで涙なくして聴くことは出来ない。
 映画「アマデウス」(1984年製作ミロス・フォアマン監督)には、この「レクイエム」作曲前後から死に至るまでが、かなり克明に描かれており、最後は嵐の夜、モーツァルトの遺体が墓人足によって大きく穿った共同墓地の穴の中にまるでゴミのように葬られるところで終わっていた。

 演奏は、1956年録音のモノーラルながら、ニューヨーク・フィルを指揮したブルーノ・ワルター盤を取り上げたい。ゼーフリート以下、独唱陣の充実とともに、オーケストラ、合唱団の演奏が素晴しいし、ワルターは、この曲を哀しいまでに美しく歌い上げている。アメリカでは、1956年のモーツァルト生誕200年記念として発売された。
 実は、同じ年の6月、ワルターが、ヨーロッパに里帰りしたとき、古巣ウィーン・フィルを指揮したライヴ演奏の録音が、日本のソニーから発売され、これも素晴しいが、やはり独唱者の質とか演奏の厳しさという点で、正規のコロムビア盤に一日の長があるように思われる。
 いずれの演奏においても、老ワルターにとって、第2次大戦のときに犠牲となった親しい友人を含む多くの人々を悼む気持が根底にあり、深い祈りと瞑想が感じられる名演である。
 この外にも、同じくモーツァルト生誕200年を記念して録音されたものでは、ヨッフム/ウィーン交響楽団(実際に葬儀が行われた聖シュテファン教会でのライヴ録音)、ベームの同じくウィーン交響楽団、91年の没後200年記念には、ショルティ/ウィーン・フィル、更に64年ケネディ大統領追悼のためのミサをライブ録音したラインスドルフ/ボストン交響楽団によるものなどを含め、名演が目白押しである。

 最後に、モーツァルト自身は死をいかに考えていたのだろうか、1787年4月、ひん死の父レオポルドに宛てた手紙にその死生観の一部が述べられているので、ここで引用したい。識者によれば、こうした死生観はカトリック的というよりは多分に彼が晩年父とともに加入した秘密結社フリーメイソン的ということである。

 「死は─よく考えれば─ぼくらの生の真の目的ですから、この数年来、ぼくはこの人間の真の最上の友と親しくしています。死の姿は、ぼくにとってもう恐ろしくないばかりか、全く心安らかに慰めてくれます。そして、ぼくは死こそ真の幸福の扉を開く鍵であることを知る機会(おわかりですね)を与えてくださったことを神に感謝しています」(4月4日)

 ジャケットは、中々盛り沢山で、大きく4つの部分から構成される。
 上部の約5分の1が、作品名、演奏者名などのデータ欄で、その左端には「モーツァルト生誕200年記念」のレーベルが印刷。ジャケットの左約3分の2は、絶筆となったラクリモーサ部分の最初の8小節のスコアが占め、一番下には「ここまで完成して─モーツァルトは死去」という説明文、右上部にお馴染みのモーツァルトのプロフィール、右下部は小さくてちょっと分かりにくいが、モーツァルトが亡くなった部屋を描いたジャン・ピエール・リーセによる水彩画となっている。全体を誰がレイアウトしたのかはクレジットされていない。