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第053回 2007/08/1
マイルズにとって大転機だった問題作「ビッチズ・ブルー」

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米CBSコロムビア PG26 (2)
マイルズ・デイヴィス『ビッチズ・ブルー(BITCHES BREW) 』

ファラオの踊り/ビッチズ・ブルー/スパニッシュ・キー/ジョン・マクラフリン/マイルズ・ランズ・ザ・ブードゥー・ダウン/サンクチュアリ
マイルズ・デイヴィス(tp)、ウェイン・ショーター(ss)、チック・コリア(el-p)、ジョー・ザヴィヌル(el-p)、ベニー・モーピン(b-cl)、ジョン・マクラフリン(el-g)、デイヴ・ホランド(b)、ジャック・デジョネット(ds) ほか

(録音:1969年8月19−21日 ニューヨーク)


 1991年9月、65歳で他界したモダン・ジャズの巨人、マイルズ・デイヴィスの生涯において彼の音楽には「変革」ともいうべきいくつかの転機があった。最初は、49年録音の「バース・オブ・ザ・クール(BIRTH OF THE COOL)」によるビバップからクール・ジャズへの移行であり、次いで51年「ディグ(DIG)」や52年「ウオーキン(WALKIN')」以下一連のプレスティッジ録音により今度はハードバップに火をつける。3番目が 58年「マイルストーンズ」、59年「カインド・オブ・ブルー」を契機としたモーダル・ジャズの創始であり、その10年後の69年には「ビッチズ・ブルー」によってロック・ジャズとかフュージョンと呼ばれる新しい分野を開拓し発展させた。
 しかし、創始とか開拓という言葉には厳密にいえば、若干反論もあろう。例えば、最後のジャズ・ロックやフュージョンというジャンルにしても、60年代半ばから、チャールス・ロイドとかゲイリー・バートンたちが既に同様の試みを行っていたからである。ただはっきり云えることは、こうした動きに対して将来に向かって明確な方向性を示し、お墨付きを与えたのが、他ならぬジャズ界に絶大な影響力をもつマイルズだったということであろう。
 何れにせよ、こうした革命児マイルズが、ジャズ歴史上、ルイ・アームストロング、デューク・エリントン、チャーリー・パーカーに続く真のイノヴェイターであったことは確かである。

 ここで取り上げるのは、69年8月に録音され、翌70年に発売されたマイルズの代表作とされる「ビッチズ・ブルー」である。
 しかし、その前に何故このアルバムが生まれたかを知るためにも、当時のアメリカの音楽事情をある程度理解しておく必要がありそうだ。60年代の音楽界といえば、その後半にかけて英国からビートルズやストーンズなどのアメリカ侵入に端を発した無数のロック・バンドの相次ぐ誕生により、欧米のみならず世界中にロックの一大フィーバーが吹き荒れた時期である。単に一音楽界の出来事というよりも、ほとんどの若者を巻き込んだ社会現象でもあった。60年代後半には、こうしたロック系の中からもジャズへのアプローチにより、自身のアイデンティティを打ち出そうとするアーティストやバンドが現れる。ジミ・ヘンドリックス、オールマン・ブラザーズ、スティング、ヴァン・モリスンといった連中である。
 他方、60年代半ば以降、少なくともアメリカでは、アルバム販売におけるジャズの衰退ぶりには目を覆うものがあり、マイルズのごときビッグ・ネームをもってしても、ロックと比べればその売上は実に微々たるものに過ぎなかった。だからといってジャズ芸術の観点から彼のアルバムの価値が問われるということでは勿論ないのだが・・・。
 こうした中、CBS専属の大物ジャズ・ミュージシャン、ミンガス、オーネット・コールマン、キース・ジャレットなどが相次いで解雇されるような事態に至って、マイルズは、ジャズを存続させ、更には帝王としての存在を維持させるためにも、自身のそれまでやってきたジャズそのものを根本的に考え直すことを迫られたのである。ロックとの融合、すなわちフュージョンへの転身が一つの回答だった。そして当時こうした動きを商業主義との妥協と受け止める評論家やファンも結構多かったことも確かである。
 実は、60年代後半に入って、マイルズも彼のバンドで採用した有能なドラマー、トニー・ウイリアムズに8ビートのリズムを試みさせたり、一部、エレキ楽器の導入を検討したりしている。しかし、前作「イン・ナ・サイレント・ウェイ」での実験を更に押し進め、それ以降のジャズの進むべき方向として ジャズ・ロックもしくはフュージョンを明確に提示したのは、この「ビッチズ・ブルー」においてであった。しかも、マイルズの場合は、単にロックとの融合のみを意図するだけではなく、当然のことながらこのアルバムでも幾多の革新を試みている。中でも顕著な特徴は、リズムの思い切った多様化であろう。ギターやキーボード、ベースを夫々エレキ化し、そのキーボードやベースを複数にし、さらにドラムスを2台ないし3台に増すと共に各種パーカッションを追加するなどして、大幅に補強したリズム・セクションを存分に駆使して、8ビートを中心とした複雑なポリリズムを追求。更にソプラノ・サックスやベース・クラリネットなどを導入して色彩豊かなアフリカ原住民音楽のもつプリミティヴかつ強烈な生命力を吹き込んだのである。
 また、マイルズは、67年以降、前作「イン・ナ・サイレント・ウェイ」(69年2月録音)も含めて、スタジオでの録音のやり方自体も変えている。即ち、演奏の間中、テープを回しっぱなしにしておき、あとでプロデューサー(この場合、テオ・マセロ)との編集作業によって適当な長さに切り直すという方法である。このアルバムでも、8月19日朝から丸3日間、テープを回し続けて、その間に演奏された集合的インプロヴィゼーションの中から各々のテイクが編集されたという。マイルズは、この場合、指揮者とか総合監督といった立場であった。
 こうして録音制作され、70年になって発売された2枚組アルバムは、当初から好調な売行きを示し、最初の2ヶ月で7万セットに達した。これはジャズ・レコードとしては、それまでにはない画期的な記録だった。結局、50万セット以上を売上げ、マイルズにとっては初めてのゴールド・レコードとなり、ジャズの分野では最 も売れたアルバムとなった。更にこのアルバムは、彼にとって2回目のグラミー賞受賞作品ともなる。
 翌71年、マイルズは、CBSとの契約を更新することになるが、条件は、その5年前、スタン・ゲッツに提示された額と同額だったといわれる・・・。
 マイルズのバイオグラフィーの著者ビル・コールなどは、60年代半ばを機に、マイルズの音楽は「革命的」であることを止め、むしろ美を追求する傾向へと大きく変容したと主張する。この辺りは議論の分かれるところであるが、激変する潮流の中で、この「ビッチズ・ブルー」をもってしても、それ以降のジャズにおける全般的退潮傾向に歯止めをかけることは出来なかったのである。
 最早、自分のやりたいようにすることが、ジャズの音楽的理念とも一致し、尚かつ多くの人々にも広く受け入れられたという時代ではなくなっていた。この厳しい現実を誰よりも痛感していたのは外ならぬマイルズ自身だったと思う。
 しかし、そうした事実によってマイルズの全体的評価が損なわれるということでもあるまい。彼は少なくともそれまでの長い間、「モダン・ジャズの帝王」として、またジャズ界の真のリーダーとして、常に革命的ジャズ・ミュージシャンであり続けた。
 単にその時代時代において作曲家、編曲家、あるいはオーガナイザーとして、常に最先端のあるべきジャズ音楽の創造・発展に関わったというだけでなく、演奏者としても、たとえばミュート奏法など彼の楽器であるトランペットに限らず他楽器も含めて、その奏法や語法の改革を通して同時代以降の奏者に多大な影響を与えてきた。更に有望なミュージシャンの発掘・育成に注力し、いかに多くの優れた奏者を世に送り出してきたことか。トレーン、ガーランド、ポール・チェンバーズ、フィーリー・ジョー・ジョーンズ、ショーター、ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウイリアムズ、チック・コリア・・・等々、数え上げたら切りがない。
 こうしたマイルズの長い期間にわたるモダン・ジャズ界への貢献やその足跡は偉大であり、ここではとても語り尽くすことなど出来そうにもない。

 ジャケットは、マティ・クラーウェンによる表裏続きの折畳み式2面ジャケット。
表が昼の場面で紺碧ながらちょっと怪しげな気配の海と空を、裏が夜で不気味な満天の星空を夫々バックに、アフリカ原住民らしき男女が描かれる。どこか異様でシュールな感覚は、収録曲の雰囲気を連想させるようだ。

 P.S. 題名「ビッチズ・ブルー(BITCHES BREW)」の意味。正直なところ、筆者にはよく分からない。アメリカの関連書にも幾つか当たってはみたが、あまり品の良くないタイトルであることは確かなようで、発売当時から良識派のひんしゅくを随分と買ったようである。ビッチという言葉は、「雌犬」転じて「あばずれ女」といった意味で、男尊女卑的な題名(MALE CHAUVINISITIC) と苦々しく言い放っている者もいる。ブルーは「醸造する」。もう少し具体的にいうと、「麦や米、水、副原料などに酵母・細菌などを混ぜ合わせて発酵させ、ビール、酒、リカーなどの酒類ほかを造り上げる、あるいはそうした醸造業を営む」という意味の動詞である。従ってそのまま直訳すると「あばずれ女たちがいろいろ混ぜ合わせて酒を造る」。本アルバムでも、本来のジャズにロックやアフリカ音楽、また諸々の楽器や各種リズムなど、いろいろな要素を混合して新しい音楽を造り上げたといえなくもない。また、ブルーには、しばしば進行形で「(嵐や事件などが)起ろうとしている」、さらに海員用語例では、より具体的に「黒雲が湧き上がって嵐の予感がある」という意味もあるようで、この意味だと、まるでジャケットの描画そのままの光景となる。即ち「女たち、変じて正に嵐となる」。但し、こうしたスラング(とくに黒人の)には、通常かなり捻った2重3重の裏の意味もありそうで、真意は関係者に直接確認してみるのが手っ取り早そうだ。あるいは独り筆者だけが知らないということかもしれず、ご存知の方は教えていただければ幸甚である