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第115回 2010/05/01

「上海万博の開催に際して」

 今日から、ゴールデンウィークの始まりです。企業の中には、既に4月29日(昭和の日)から連休がスタートしているところがあるのかもしれません。全国の天気予報はおおむね良好とのこと。多くの方々が、外出の計画を練られていらっしゃるのかもしれません。ところで、昨4月17日(土)、関東地方の平野部ではほとんど桜(ソメイヨシノ)の散った頃、41年ぶりという記録的な降雪がありました。さいたま市では、明け方には霙(みぞれ)に変わりましたがまだ足元には早朝からの雪が一面に残っていました。天候の変化が激しいのが春、とはいえかなり劇的な変化でした。この不順な気象変化に体調を崩された方も、温暖な日々が予測されるゴールデンウィークの休暇中に、十分体力を回復されることを願っております。

 今日5月1日より、上海にて万国博覧会(上海万博)が10月31日までの半年間開催されます。近年、中国政府は国家的威信をかけた国際行事として、「北京オリンピック」(2008年)と「上海万博」を大きな課題として取り上げてきました。中国の外貨準備高(2009年6月現在)は、米ドル換算2兆1千万ドル強で2位の日本をはるかに凌いで世界一位、全世界の約30%を占めています。 また、名目GDP(国内総生産)は米国、日本に次いで世界3位(2010年4月:IMF。ただ2位日本との差が極めて少ないことから、年内の再統計では世界2位になることが予測されています)と、グローバルな国家経済は既に世界の最高水準に達しています。こうして世界でも名だたる経済大国となった中国の国際的威信をかけた壮大なセレモニーが、北京オリンピックの成功に次ぐ今回の「上海万博」となりました。 上海万博

 「より良い都市、より良い生活」をテーマとしたこの上海万博に主催者は7,000万人の入場者数を見込んでいるようです。恐らく、日本が急速な経済成長を背景に、東京オリンピック(1964年)を成功させ、その6年後の大阪万博(1970年)を通して、政治的そして文化的な認知を世界に確固たる物としてきた歴史を教訓化しているものと思われます。以前、北京オリンピックに際してもコメントしましたように、過去の日本の教訓は、しかしながらこうした過熱気味の国家的な上昇志向の意識の高まりは、かなりの期間にわたる経済的な後退を結果してきたことを忘れてはならないということです。中国政府当局は、既に投機的な土地の売買を制限する規制をかけていますが、上海地区における不動産の価格上昇ブームはいっこうに沈静化していないようです。台風一過、来るであろう静寂に不気味なものを予感します。

 この上海万博、既にテーマソングの著作権を巡って一騒ぎがありました(岡本真夜氏「そのままの君でいて」の盗作疑惑)。それがほぼ収まったかに見えたとき、肝心の中国館のデザインが、日本の建築家・安藤忠雄氏の設計したスペイン・セベリア万博(1992年)での日本館を盗作したものではないかとの疑惑が浮上してきました。テーマソングの作曲家と同様、建築家も疑惑を拒否していますが、どのような決着を見るのか、いまだ流動的に見えます。両方のケースとも、インターネットでの議論が発端です。

 この上海万博に先立って、Googleが今年3月、中国市場からの撤退を声明しています。検索エンジン作成上、あまりにも多くの規制が当局からかけられることが撤退の理由であると理解しています。確かに、中国で、日本の気軽な「お気に入り」のサイトにアクセスしようとしても、アクセス不能となるものがかなり出てくることは事実です。あまりにも傍若無人で、悪意を持って中傷するとしか思えない投稿やサイトが、管理者のフィルターでろ過されることは必要だとしても、政治的なフィルターを個人的な意見の規制に使用され、ある方向へ誘導される道具とされることは決して好ましいものではありません。

 Googleが嫌悪感を表明したインターネットに対する中国政府の管理規制が、翻って国家最大のイベントの盗作疑惑の声の高まりという形で非難されているようにさえ思われます。

 この上海万博、あまり国内では取り上げられていませんが、デンマーク館の最大の呼び物は、同国の最大の童話作家アンデルセンの「人形姫」をモチーフとした像が展示されることです。1913年に作成され、首都コペンハーゲンから移動されたことの無い「人形姫」の初めての海外移動です。デンマーク国家の中国への敬意の現れでしょうか。この「人形姫」の作家、アンデルセンの全体像は、日本ではあまり広くは知られていないようです。

 古くは森鴎外の名訳で知られる「即興詩人」で一躍作家の仲間入りしたアンデルセンは、デンマークの人(1805−1875)。今日でも全世界で読み続けられている童話は多く、先の「人形姫」以外にも「マッチ売りの少女」、「みにくいアヒルの子」などなど。「アンデルセンの生涯」を著した山室静(新潮選書:1975年初版)は、まえがきで、童話作家とアンデルセンを限ったとしても、「死後百年、依然として<童話の王様>の地位を確保しつづけて、いよいよ世界中で愛読されている」と賞賛しています。そしてその理由は、「童話という形式で、人生の真実を描いた詩人だ」からであり、「童話の中に、彼の多難であり豊かでもあった人生経験の、すべてを投げこんだ」ところにあると説明しています。最後はデンマーク国家の国葬で葬られたアンデルセンですが、その生涯と劇作、旅行記、小説、そして童話に関わる彼の姿勢は、この「アンデルセンの生涯」が克明に描ききっています。あえてご一読をお勧めします。

 アンデルセンの生きた19世紀は市民社会勃興と発展の時代でした。作品に対する酷評に著しく落ち込み、好評には時として狂喜したアンデルセンであったようですが、彼のこの感情の激変は時代の激変の表象でもあったようです。「人形姫」は悲劇的な作品と読み取れもしますが、すべてが良い結果を生んできたわけではない19世紀の詩人の文学的ではありながら冷静なものの見方が表れてもいるようです。 今や上昇志向の強い中国経済・社会で、「より良い都市とより良い生活」を目指すことが果たしてどうなのか、また「より良い」と志向される社会像とはいったいどういうものであるのか、「人形姫」はより冷静になることを訴えているようにさえ思えます。





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