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第65回 2006/03/01

弥生三月となりました。関東地方では、梅の開花が伝えられ、まだ冷たい風の中ではありますが、道端にはオオイヌノフグリやヒメオドリコソウが控えめに花を咲かせ始めています。皆様お住まいのあたりではいかがでしょうか。

水温む三月、その三日は、最近では雛祭りで知られた「お節句」。実は節句は一年間に五回あり、この日が二回目の節句(節供とも書きます)であることをご存知時ない若い方も多いのではないでしょうか。

日本での節句とは、年の初めての節句、一月七日の人日(じんじつ)の節句を唯一の例外として、月と日が奇数で重なる日を選び(例えば五月五日:端午、七月七日:七夕、九月九日:重陽)、人々の無病息災を願う古来からの宗教的な習慣を、江戸幕府が制度化したものです。(明治政府は、どういうわけかこれを制度上は廃止しました。)

これは、中国の「陰陽五行説」に基づく「節供」を、恐らく平安時代に、そのまま取り入れ日本的に習慣化したものです。中国での重日思想によれば、奇数で同じ数字が重なる月日を忌み嫌ったため、神を迎えてお祓いをする習慣が定着したものであるといわれています。三月三日は、上巳(じょうし)の節句といわれ、丁度桃の花が咲く時期と重なることから日本では「桃の節句」とも名付けられ、桃に表現される自然の生命力を受けて厄災を祓う節句とされ、草や藁で作った人形(ヒトガタ)に触ることにより穢れを祓う農村儀式だったようで、それが次第に女子の健康な成長を願うものへと転化していったようです。

この桃の節句を代表する歌といえば、童謡「うれしいひなまつり」が思い浮かびます。残念ながら最近では昔の童謡が子供たちに口ずさまれることが少なくなったように気遣われます。この「うれしいひなまつり」は、昭和10年以降第二次世界大戦に至る時代に、数々の著名な童謡を残した河村光陽の作曲、サトーハチローの作詞によるものです。

河村光陽は、明治30年(1897年)福岡県田川郡赤池町出身、この他に「かもめの水兵さん」(武内俊子作詞)、「赤い帽子白い帽子」(同)、「とんがり帽子」(三苫やすし作詞)、「仲よしこみち」(同)、「かごめかごめ」(大橋恂作詞)、「グッドバイ」(佐藤義美作詞)を作曲、恐らく団塊の世代前後の方全てが一度は歌ったか聞いてご存知ではないでしょうか。音楽家が童謡の作曲を持って身を立てることができたことを証明した最初の作曲家の一人で、第二次世界大戦へと向かう以前の、大正デモクラシーから昭和10年代の半ばまでの平和な時期の象徴でもあった存在です(1946年享年49歳で逝去)。

三月は、年末と並んで、私共オーディオ業界に限らず商取引において、年間を通して最も重要な月の一つだと理解されています。四月の行政年度替りによる人的交流の高まりと、就学制度上の新規参入者による商品需要の増大が各産業分野において期待されていることはいうまでもありません。とりわけニッパチ(二月と八月)と呼ばれる、需要の低迷する二月の翌月ですから、プレスをはじめとして期待感が一層高まるのもやむをえないところです。そうした側面だけですとどうも寒々とした趣しかありません。「うれしいひなまつり」に代表される古きよき、そして懐かしき名曲を懐中深く抱きながら、来るべき春を迎えたいと思っている今日この頃です。