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ホーム/コラム/みだれ観照記/ヒトはなぜぺットを食べないか

第36回 2005/06/01
ヒトはなぜぺットを食べないか
36

書名:ヒトはなぜぺットを食べないか
著者:山内昶(ひさし)
出版社:文藝春秋
出版年月日:2004年4月20日
ISBN:4−16−660439−2
価格:714円(税込)
http://www.bunshun.co.jp/book_db/6/60/43/9784166604395.shtml

おりしも、5月30日(月)夜、NHK総合TV『クローズアップ現代』で「ペット大暴れ。悩む飼い主」とタイトル付けられた番組が放映されました。これは1,000万匹を上回るといわれる日本の代表的ペットである犬が、飼い主の無知と思い込みにより、飼い主や飼われている環境に造反する現実(噛み付いたり、破壊する)と、その底辺にある商業主義に特化したペット業者が、あまりにも早い時期に子犬を親犬から強制的に切り離し、最も高値で販売できる「かわいい」頂点の時期に、店頭に置く姿勢が問題視されている番組でした。この番組に興味をもたれた方には、是非一読をお勧めしたい一書です。

ペットを食しないのは、現代人の「あたりまえ」です。ではその常識はいつからどのようにして形成されたのでしょうか。少なくとも、ペットとして飼育の対象とされている犬や猫を、現代に至るまでテーブル上に載せている地方や国があることは事実です。但しこうした犬や猫は、ペットがそのまま持ち込まれたのではなく、食用専門に飼育されたものであるようですが。筆者は、この「あたりまえ」が、現代にも韓国や中国華南地区に残る、特殊な食文化の問題でなく、かなり長期にわたる全世界的傾向であったことから書き始めます。

そして、ヒトの歴史の進展が、飼育対象の動物との同一化を性的な行為の対象(所謂獣姦)にまで高めてきた(聖婚)ことは、決して偶然的、特殊的出来事の積み重ねの結果ではなく、ある意味で愛するものと同化したいという人間の基本的欲望に基づく必然的、自然的な成り行きであることを説きます。つまり、愛するものとの同化願望の一方の行為が、性行為であり、それと同価値をなしているものが食べる行為であることを説明します。

更に、こうした同化願望の無節制な状態を、カオス(ケーオス)とすると、それとの境界をもってヒトは、秩序だった人的世界、コスモスを築き上げていきます。その接点である敷居(リーメン)を踏み越える行為をタブーとして禁じてきたと論じます。筆者の論旨を簡略化しますと、性文化においての敷居が、近親者であり、食文化におけるそれがペットであるというのです。この説明には、世界中の多くの民族の過去の歴史が参照されています。ここで、この本のタイトルである「なぜヒトはペットを食べないのか」がここで回答されるわけです。

しかし筆者はここにとどまらず、最終章、「ペットと消費文明」で今日のヒトとペットのあり方に鋭く批判のメスを入れます。

冒頭のNHK の番組でも紹介されましたが、ペット犬には明らかな流行があります。かつて大型でオオカミ的外見がもてはやされたシベリアンハスキーが、心無いブリーダーによって大量に殺されたり、放置された事件は記憶に新しいところです。かつての溺愛は、流行の流れとともに忘却のかなたです。こうした「利己主義」は、「相手の存在を否定し、無化するという意味では、一種のペット喰い、ペット殺しにほかならない」と断じます。

次の筆者のまとめの言葉には、うなずかざるを得ない説得性があります。

「ペットがコンパニオンとなり、家の子となり、どれほど人間もどき、人間まがいになったとしても、やはりそこには仕切りとしてのけじめ、節度が必要であり、人間と動物の差異を明確にし、一線を画しながら、しかし同時に同じ生命の連鎖の一環だという同一性と共存性を認識しなければならない。」

こうして、「小鳥を籠のなかで飼うより、自由に空を飛び、囀り、遊ぶ姿を愛でて、自然の声を聞き、その心を読み取り、森羅万象に生命の尊厳と連帯を悟る、真に豊かな感受性の回復が望まれるのである」と期待します。

望めばいかなる種類のペットでも購入でき、世界の珍味を探すことがそれほど困難でない今日、足元を見直すためにもこの著者の声に耳を傾けてみませんか。