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第51回 2006/02/01
トビ


(49)トビ「タカ(コウノトリ)目タカ科」tobi1_300
    英名:Black kite
    学名:Milvus Migrans
    漢字表記:鳶、鴟、鵄
    大きさ:オス59cm、メス69cm

今回は、タカの仲間の中で、誰もが目にしたことのある鳥、トビについてです。どの地方でも見ることができ、また、海岸から山間部、市街地に至るまで広く生息しますし、また死肉や、残飯などをそれこそカラスなみに食べるため、必ずしも尊重に値する野鳥とはみなされることが殆どないといっていよい野鳥です。ここでは、そのトビの意外な側面を見ていきましょう。

まず、所謂猛禽類といわれる、ワシ、タカの仲間を見分ける標準鳥という側面があります。標準となる鳥は他にカラス、ハト、ムクドリなどがいます。それぞれ大きさとシルエットが標準とされています(時として飛翔パターンも含まれますが)。上に記載しましたように、雄雌で大きさが異なりますので注意が必要です。飛んでいるときの両翼の最大値を翼開長といいますが、雄で157cm、雌で162cmほどです。一般的に、とびより大きいワシタカの仲間はめったにお目にかかることができません。よく知られています、オオタカ、ハヤブサなどは、カラスと比べられる程で、トビよりかなり小さいのです。トビより大きな猛禽類はかなり限られるのです。

一夫一妻性の鳥ですが、繁殖期以外にはかなりの大きさの集団となって塒(ねぐら)につきます。私は数十羽までの集団しか見たことはありませんが、何と数百の大群を見たことのある人もいます。

一般に死肉を好むとされ、不浄な鳥のイメージがありますが、海辺でダイビングし魚を捕らえようとした瞬間を目撃したこともあります。体が大きく、飛翔にも小回りが利かない鳥ですし、ハチクマ(蜂、蜂の子)やミサゴ(魚)のように食べ物を特化させない、雑食性の鳥として進化して来ましたので、生きた俊敏な生き物を捕獲するのが苦手なだけで、決して死肉を好んでいるとは思えません。死肉や残飯のほうが難なく餌とできますし、またそうした餌は人の生活圏に多いため、採餌する様子がよく目撃されるために、死肉を好むといわれるのではないでしょうか。

英語の名前、Black Kite とは黒いタコ(凧)と呼ばれるほど、全身が黒っぽい褐色で、これがひとつの特徴でもあります。背中の部分、腹の部分が全て褐色なワシ、タカの仲間は他にいません。ただ両翼の下部に一部白っぽい斑があります。また嘴も、脚も黒っぽいのです(通常黄色っぽいのです)。

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形状の特徴は尾の部分にあります。飛んでいるときによく判りますが、中央部が窪んだ、三味線のバチのような形状をしています。この形状の尾をしたワシタカの仲間は他にいません。上空で輪を描くように上昇気流に乗って羽ばたかずに飛んでいますが、それをソアリング(soaring)または、汎翔(はんしょう)と呼び、餌を探しているものと理解されています。このソアリング状態を昔の人が観察し、「朝トビ川越すな、夕トビ傘もつな」ということわざが生まれたようです。朝の上昇気流は、低気圧の接近によって発生することが多く、雨をもたらすため洪水の危険性を示唆し、夕方の上昇気流は翌日の晴天をもたらすということなのでしょう。 さてこのトビの名前は、遠く高く飛ぶという意味の「とおくひいる」が略され転化して「飛び」になった(「鳥の名前」大橋弘一著、東京書籍)という説が有力かと思われます。また、後で述べますように既に奈良時代からトビと呼ばれ、江戸時代に入り「トンビ」とも俗称され始めたようです。また江戸時代の書き物にでてくる「いそわし」は、トビとミサゴの両方を指した(「鳥名の由来辞典」菅原浩、柿澤亮三・編著、柏書房)ようです。なるほど海辺で見ることのできる大型のタカはこの2種類ですからうなずけるものがあります。

かなりお年を召した方はご存知でしょうが、明治時代には、武勲を立てた軍人に送る、「金鵄勲章」という勲章がありました。これは光り輝くトビ(鵄)が、初代天皇とされる神武天皇が東征中、その最後の段階で敵(長髄彦)に苦戦しているとき、天皇の杖の先に止まり、敵を幻惑し勝利に導いたとする「日本書紀」の「神武記」に由来するものです。このように表現されています。

 
「時に怱然(たちまち)として天陰(ひし)て雨氷(ひさめ)ふる 及ち金色(こがね)の霊(あや)しき鵄(とび)有りて 飛び来たりて皇弓(みゆみ)の弭(はず)に止まれり 其の鵄光り曄(てりかかや)きて 状流電(かたちいなびかり)の如し」(日本書紀巻三)

この伝承は、そのまま錦絵として明治時代の画家、月岡芳年(1839〜1892)によって描かれています(『大日本名将鑑』)し、以前私が「観照記」第42回でとりあげた「大和朝廷の起源」(安本美典著、勉誠出版)の表紙でも採用されています。その意味で、トビは、下等どころか神聖な神の鳥として扱われていたのです。下は、若いトビですが、何となく背中が金色に輝いているようにも見えませんか。

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トビは春の季語。

 
鳶の羽も刷(かいつくろ)ひぬはつしぐれ  去来
梅ばやし野分の跡のあかるきに吾立ちみれば鳶高く飛ぶ  伊藤左千夫

注:写真は、画像上をクリックすると拡大します。