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第54回 2006/03/01
日本人とユダヤ人
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書名:日本人とユダヤ人
著者:イザヤ・ベンダサン
発行所:角川文庫
出版年月日:1993年7月10日(88版:初版1971年9月30日)
ISBN:4−04−320701−8
価格:483円(税込)

この本の名前を聞いてから早いもので30年以上も経ちます。丁度私が学校を卒業し、会社組織で業務に携わるようになった年(1971年)に出版され、当時確かベストセラーになったか、そうでなくとも少なくともかなりの話題となり、とりわけ著者のアイデンティティをめぐって論議がメディアで戦わされた記憶があります。どうも私には、書籍に限らず、音楽においても、世の多くの人が承認し歓迎しているという事実を前にしますと、なんとなく興味を失ってしまう偏屈なところがあり、端的にいえばへそ曲がりなのでしょう、今まできちんと通読することなく今日に至ってしまいました。

出版当時は、著者イザヤ・ベンダサン(ユダヤ人)、訳者山本七平(初版の出版社、「山本書店」社長)として売り出されたと記憶しています。「ユダヤ人の目から見た日本人」というセールスキャンペーンが、この本の売れ行きに寄与したことは間違いないでしょう。後日、実際の著者は、訳者とされていた山本七平氏であることが明かにされた時、その人を食ったような売り出し方法に不快感を表明した評論家も少なくなかったものです。

率直な読後感想は、とにかく面白い。個々に挙げられた文献、もしくは事実の理解の一部に執筆者の誤解があったとしても、また、その大部分に間違いが含まれていたとしても、この本は比較文化論として、独自の視点を確立しようとした日本文化論として面白い。何年か後に、浅見定雄氏が、「にせユダヤ人と日本人」(朝日文庫、1986年)でこの「ユダヤ人と日本人」の個々の表現を全否定しようとしました。しかし、比較日本文化論の視点から見た場合の、「にせユダヤ人」である山本七平氏の方法論の特異性を評価できなかったのは残念なところです。

この本をユダヤ人が執筆したとするのは、執筆者が日本人であることが既に明らかになっているからではなく、一読して無理があることは自明です。第二次世界戦争以前に神戸に育った生粋のユダヤ人が、日本人について書くとき、まず何をおいてもリトアニア領事であった杉原千畝について一言も触れないことは、いくら戦後四半世紀を経た後に執筆したとはいえ信じられないことです。第二次世界戦争最中、ナチズムに追われた亡命ユダヤ人の逃亡先は、富裕層が北米であり、一般人はビザの有無を問わなかった上海でした。上海への渡航にはユダヤ人の通行を認める日本を経由する海路か、満州帝国ハルピンを経由する陸路しかなく、前者の道を切り開いた(日本通行ビザを発行した)のがリトアニア領事の杉原千畝で、そのルート上では、神戸ユダヤ人街が重要な役割を果たしたのですから。(ちなみに後者は、ハルピン特務機関長・樋口李一郎が責任者として実行しました。杉原、樋口の両名は、イスラエル共和国にとっては国家の恩人的存在として記念碑に名を刻まれています。杉原は6千名、樋口は2万人のユダヤ人の命を救ったと伝えられています。)

さて、イザヤ・ベンダサンこと山本七平氏は、日本人の文化的な特徴をユダヤ人のそれと対比させ、「日本教」の信者であり、それも無意識的な信者である「日本教徒」として描こうとしています。ユダヤ人であることは、ユダヤ教徒であることと同一であったわけですから、日本文化を日本教徒と規定する上で、ユダヤ人を執筆者とすることは、対比上極めて便利な方法であったでしょう。 山本氏以前のもっとも著名な日本文化論が、ルース・ベネディクトの「菊と刀」であることは、その論旨への賛否を別にして議論の余地のないところでしょう。ルース・ベネディクトは、日本文化を所謂西洋文化との対比の中で描こうと尽力しました。「菊と刀」では、日本人の集団における行動を「恥の文化」に立脚するものと仮定し、その特異性に光をあてようとしました。学問的な評価は、原文(英語)の翻訳上の正誤を含め、今なお論議を呼んでいるようですが、少なくとも第二次世界戦争後の米軍による日本人管理に重要な役割を果たしたことは間違いないと思われます。それに対して、山本氏の日本文化論は、日本人の無意識的な行動に表現される、「人間的な」ものを基本的な規範とする生活習慣、無意識的な集団的な同一性と慣用性を「日本教」として、それもとりわけ厳格な戒律をもつユダヤ教との対比にもっとも顕著な特色を表すものとして描こうとします。

「菊と刀」がアメリカ軍という形をとった西洋文化が戦後日本を統治する上で、そのマニュアルとして機能したのに対して、「ユダヤ人と日本人」は敗戦によって自信を失った日本人に、その文化の特異性と優秀性を訴えることによって、自らを再び取り戻し自信を回復させようとしているようにも読み取れます。「ユダヤ人と日本人」が執筆されてから既に30年。執筆者の山本七平氏は逝去し(1991年)、時代は21世紀へと入りました。山本氏が賞賛しようとした日本人の優れた点として記載されたそれぞれの特色が、残念ながら次第に色あせてきたようにみえることは決して氏の責任ではありません。昔お読みになられた方にももう一度読み返されることをお勧めします。日本の今日が、司馬遼太郎氏が憂慮したのとは別の意味で、なんとなく悪しき方向へ向いているのではないかと気付かせてくれます。