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第47回 2006/05/01
西洋音楽史

書名:西洋音楽史 「クラシック」の黄昏
著者:岡田暁生
発行所:中央公論新社
出版年月日:2005年10月25日(初版)
ISBN:4−12−101816−8
価格:819円(税込)

私たちは通常「あなたの好きな音楽(分野)はなんですか」と聞かれると、「クラシック」、「ポピュラー」もしくは「ジャズ」、「演歌」といった分野から回答します。人によっては、ポピュラーなどとは言わず、「西洋ポップス」だとか「Jポップス」と答える方もいるかもしれません。さてここで「クラッシク音楽とは何か」といわれた場合に、ベートーヴェンやシューベルト、生誕250年が喧伝されるモーツァルトなどの錚々たる大作曲家によって作曲された、ヨーロッパ音楽の体系をイメージできても、明確にこれを規定することはかなり難しい作業です。

新書にまとめられたこの「西洋音楽史」は、それを歴史的な流れの中で明確に解説してくれます。その副題、「『クラシック』の黄昏」とつけてありますが、最後まで読みますと重要なポイントであることがわかります。(ところで、英語圏で音楽分野としてのクラシックは、Classicといっても意味がなく、Classical Musicが正しい表現です。また米国では、Classicとは、クラシックカーを指します)。 まずは、この著作の基本的なスタンスです。「まえがき」のなかでこう述べています。

 
「本書の目的は、西洋芸術音楽の歴史をこうした川の物語として語ることにある。<略>この本の主役は、西洋音楽の『歴史』であって、個々の作曲家や作品ではない。ごく一般的な読者を想定して、可能な限り一気に読み通せる音楽史を目指し、専門用語などの細部には極力立ち入らない。そして何より、中世から現代に至る歴史を、『私』という一人称で語ることを恐れない。」

こうしたスタンスから、「本書を通して私が読者に伝えたいと思うのは、音楽を歴史的に聴く楽しみである。<略>『このような音楽はどこから生まれてきたのか』、『それはいったいどんな問題を提起していたのか』、『そこから何が生じてきたのか』。こういうことを考えることで、音楽を聴く歓びのまったく新しい次元が生まれてくる、そのことを伝えたいのである」と主張します。その音楽が生まれてきた背景を知り、その歴史的な役割が判り、その音楽に対する適切な姿勢を持って、適切な場所で聴くことによって「音楽を聴く喜び」が深まることを強調します。その意味で、この著作は、著者が語るように「『音楽史』である以上に、『音楽の聴き方』についてのガイド」、それも極めて深く洞察された高度なガイドとなっています。

著者は、「クラシック(音楽)」を「西洋芸術音楽」とし、「芸術音楽」とは、評価上での芸術性の高低とは別に、「芸術として意図されて作られた音楽」として、自然発生的な一般民俗音楽と一線を画します。その意図された作業が、「楽譜」として表現されること、書かれることなのだと説明します。その意味で、中世に起源をもつ芸術音楽は、書くこと、そして読むことができ、書く事のできる手段である紙を所有できることが必要であり、極めて限定された人々、つまり「西洋社会の知的エリートによって支えられてきた」ものであることを冒頭で述べます。

更に、この芸術音楽が、中世、ヨーロッパが国家形態をとり始めた時期に誕生し、イタリア、フランス、ドイツを中心としたものであることを説明します。中世における国家の成立が、キリスト教を精神的なバックボーンとしてきたことから、王侯貴族によって庇護された、宗教的なひとつの表現として「芸術音楽」が誕生していったことは必然だったのでしょう。そしてそれは、「『神の国の秩序を音で模倣する』といった意図をもった」、「科学や哲学に近いもの」として認識されていたと解説しています。

芸術音楽の生みの母であった、「グレゴリオ聖歌」(単施律)に対施律を付け加えるようになって、芸術音楽は産声を上げる条件を整えたようです。こうして、時代はルネサンス期(15、16世紀)を迎え、世俗曲を大胆に宗教曲としてとりいれる、「作曲家」が誕生することによって、芸術音楽は初めて誕生したといえるようです。

時代はルネサンス期から、かのヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハを生み出した「バロック」(17、18世紀)へと進みます。著者は、概略して、「『古楽(歴史上の音楽)』が『クラシック』になりはじめた時代のことだ」と述べます。更にバロックから、18、19世紀初期の、ウィーン古典派(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン)、そして作曲家の百花繚乱となった19世紀のロマン派へと説明を続けます。

ウィーン古典派におけるベートーヴェンの位置づけが極めて特徴的です。

 
「やはりベートーヴェンこそが古典派音楽の最良の美質の継承者であり、その完成者であることは、改めていうまでもない事実だ。主観と客観、意思と形式、横溢する生と自己規律の間の均衡?この古典派音楽の理念の完成を成し遂げたのが、ベートーヴェンである。」

時代が、科学的な発明、発見を基礎にした産業革命期に入ってきたとき、先端的な科学的実証主義は、「神は死んだ」と言わしめます。音楽的にはロマン派のこの時代は、『どんどん無味乾燥になっていく時代だったからこそ生まれたロマンチックな音楽』が要請された時代でもあったのです。社会的な不安を安らげ、合理主義的には割り切れない「人々の希求を吸い上げる最大のブラックホールとなったのが」、ロマン派音楽といわれる、きらめくばかりの作曲家を生み出した時代だったのです。著者はその頂点にワーグナーを位置づけます。

 
「ロマン派特有の施律・和声法を最も効果的に演出する術を知り抜いていたのが、ワーグナーである。<略>ドイツ・ロマン派的な内面表現を宇宙的法悦と結びつけた作曲家は、ワーグナー以前にはいなかった。<略>俗悪なハッタリから音楽の形而上学に至る19世紀音楽史のありとあらゆる要素を、彼は総合し、擬似宗教的なエクスタシーへと高める。ワーグナーに至って音楽はついに、宗教なき時代の宗教となったのである」

ワーグナー以降の時代を、著者はポストワーグナーとさえ語ります。そのポストワーグナーの時代の象徴に、マーラーを据えます。「音楽がどんどん世俗化していったバロック以後の音楽史にあって、マーラーは再び神の顕在を音楽の中に見出そうとした作曲家だった。」と評価します。

この間の歴史を、著者は、指揮者ニコラウス・アーノンクールの言葉を借りてこう語ります。

 
「18世紀までの人々は現代音楽しか聴かなかった。19世紀になると現代音楽と並んで、過去の音楽が聴かれるようになり始めた。そして20世紀の人々は過去の音楽しか聴かなくなった。」

著者は、第1次世界戦争までの時代をクラシックの時代として、決して明確にではありませんが、描いているようです。また、ニコラウス・アーノンクールが語る20世紀は、そのまま現在の21世紀にもあてはまります。創造的な音楽が、ベートーヴェン、ワーグナー、マーラーの系譜の延長上には不可能となっているという意味で、西洋芸術音楽は今まさに「クラシック」であり、著名な作曲家ではなく、技巧あふれる演奏家と指揮者に注目が集まる時代は、やはりたそがれていると言わざるを得ないかもしれません。この本を読むと、クラシック音楽が一層楽しめることは間違いありません。