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第50回 2006/08/22
クジラと日本人

書名:クジラと日本人
著者:大隈清治
発行所:岩波書店 (岩波新書)
出版年月日:2003年4月18日(初版)
ISBN:4−00−430835−6
価格:700円(税別)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/43/6/4308350.html

捕鯨をめぐる問題は、一見複雑で、単純なアプローチでは、全体像が見渡せそうにもありません。国際捕鯨委員会が開催されるたびに、日本のマスメディアはこれを取り上げ、時として鯨食を日本の食文化の柱だと称するキャンペーン女子などが、鯨料理を反捕鯨国の委員に勧め、失笑をかったりする場面がテレビで映し出されることもあったように記憶しています。また他方で、日本グリーンピースは、今現在も日本の捕鯨再開へ向けた動きを強く牽制しようとしています。

この「クジラと日本人」は、生物としてのクジラの説明から始め、そのクジラと日本人との歴史的なかかわりに筆を進めていきます。この段階で明らかなことは、日本人とクジラとの関わりは、商業捕鯨賛成国の中でさえ類を見ない異色なものであるということです。歴史的に鯨食を肯定する国が現在の捕鯨賛成国(日本を始めとした、アイルランド、ロシア等)なのですが(鯨油目的の捕鯨国、アメリカ、イギリスなどは反捕鯨国に転じています)、鯨の生物的なすべての器官を利用し尽くす術を伝統的に身につけてきたのは日本だけで、その意味で国際捕鯨委員会(IWC)の捕鯨賛成諸国の先頭に立って来たのは必然的な結果だったのでしょう。また、日本では、クジラは魚の仲間として理解してきたことから、仏教伝来以来、その宗教的な理念から肉食を禁じた度々の法律、詔からも拘束されることなく、ごく最近の二十数年間を除いて延々と日本人の重要な動物性たんぱく質供給の食材であったことは間違いありません。

世界を二分する捕鯨国と反捕鯨国を作り出した舞台、国際捕鯨委員会(IWC)の共通の認識は、海棲哺乳類であるクジラを資源として見なすということです。その点で、ジェフリー・M・マッソン(代表的著書「豚は月夜に歌う」)などの家畜食材化絶対反対主義的な立場とは、異なっています。グリーンピース等の環境主義者グループの多くも同様に、鯨油、鯨肉としてのクジラを資源として見ることに絶対的には反対していないようです。そうした共通基盤に立って、「資源としてのクジラ」の乱獲規制の基準設定と、管理をめぐって、対立が深く発生してきたのが1970年代初期でした。

著者は、冒頭で、「クジラは巨大であり、(中略)神秘的で、人の興味を引きやすく、いろいろな意味でのシンボルになりやすい動物である」、それゆえに、「米国政府と環境保護団体は、この特徴を利用して、鯨を環境保護のシンボルに仕立て上げた」と述べています。それが1972年のことで、「商業捕鯨の10年間のモラトリアム」が提唱され、1982年の「商業捕鯨無期限のモラトリアム」が宣言され今日に至っているのです。その意味では、現在の日本の青少年は、日本の有史以来初めてクジラ肉を日常生活で食することなく育ってきた稀有な存在となってしまいました。

もともとクジラ資源の管理を目的に1948年に設立されたIWCは、ニクソン・アメリカ政府が突如環境保護のシンボルにクジラを祭り上げる(1972年)以前に、大型のザトウクジラとシロナガスクジラの捕獲は全面禁止措置をとっていました。1972年以降、IWCの対立は、本質的にはアメリカと日本との対立であり、その力関係が如実に、捕鯨賛成国と反対国の比率になって現れてきたように見えます。

ニクソン政府が1971年に「海洋哺乳動物保護法」を制定し、1972年に「商業捕鯨10年間のモラトリアム」を提出した背景には、当時激化していたベトナム戦争での、無差別絨毯爆撃(北爆)や、森林への猛毒ダイオキシンを有した枯葉剤の散布(日本では、ベトちゃん・ドクちゃんの治療報道で一躍人々の知るところとなりました)に対する世界的な批判と、1972年の大統領選挙への民主党候補マクガバンの「反戦」キャンペーンの高まりがありました。人類と生態系の破壊にこれ以上過酷なことはない戦争遂行の実態を、海洋哺乳動物の保護という煙幕で覆い隠そうとしたとしか考えられない状況だったのです。絶対的環境保護論者がその実行部隊となったことは、なんともやりきれない思いです。この筆者はそこまで筆を進めていませんが、少なくともその当初の不順な動機からして、クジラを環境保護の旗頭にすることだけは止めるべきではなかったでしょうか。

ヒトは、これまで数百、数千という多くの生物種を無意識的にもまた意識的にも、絶滅の危機に追いやってきました。この著者の語るように、哺乳類クジラ族の実態をつぶさに可能な限り研究、調査し、その生物資源としての再生産が可能な限度を見極める手段を吟味検討し、その管理システムが構築され、状況に応じての調整が、世界的に可能であるならば、「反捕鯨」派の牙城が次第に崩れていくのかもしれません。

著者は、最後に「漁業の一環としてクジラを伝統的に利用してきて、現在も調査捕鯨を実施中である日本が、世界で優位な立場にある。致死的調査を非致死的調査と有機的に組み合わせて、調査と研究を積極的に進めることが大切であることをここに強調したい」と述べています。しかし、「反捕鯨」の根拠が、環境保護の名目の下で、異なった政治的目的(畜産肉の需要拡大)があるように見える状況下で、「環境を破壊することのない根拠」を列挙する活動は、日本以外のどこも主導権を握ることはできないでしょう。

商業捕鯨反対諸国とその賛同者の、「環境保護論」には多くの疑問と、時として偽善性を感じてしまいます。「管理された商業捕鯨」が成功裏に進むならば、ある意味で初めてヒトは、野生生物とうまく折り合いをつけることができるかもしれません。先人とクジラとの関わりや、現在の世界クジラ事情を知るうえで、一読を、特に若い方々にお勧めします。