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第52回 2006/10/25
モーツァルト 天才の秘密

書名:モーツァルト 天才の秘密
著者:中野 雄
発行所:文藝春秋 (文春新書)
出版年月日:2006年1月20日(初版)
ISBN:4−16−660487−2
価格:750円(税別)

今日広く音楽愛好家にその名を知られるヴォルフガンク・モーツァルトが生まれたのは、1756年1月27日、ハプスブルグ帝国(今日のオーストリア)のザルツブルグでした。今年はそれから数えて丁度250年目。 生誕地ザルツブルグでも、また、その後移住し、最期の地となったウィーンでもモーツァルト生誕250周年の記念音楽祭が様々開催されています。

この著書は、そのモーツァルト生誕250周年を意識してかどうか、本年1月に初版が出版されたものです。表題は、おそらく編集者との協議を経て、大衆受けを狙ってなぞめかしく、「天才の秘密」とうたっていますが、内容はモーツァルトの音楽史上に占める特異性、独自性、またその役割を、膨大な作曲の数々を十分聞き込むことによって描き挙げた労作といえます。

まず驚かされるのが、各章ごとに紹介され、非常に困難ではあれ今日入手できる可能性のある、モーツァルト作曲の曲目を録音した多くのSP,LPそしてCDの紹介です。紹介するソフトごとに指揮者、演奏者、録音年、それにそれぞれに的確な評論が加えられています。モーツァルトの幼年期を述べた第1章では4枚のディスクが紹介されているのを皮切りに、第8章までそれぞれにほぼ10種類以上が解説されています。モーツァルト八歳の時のケッヒェル1の時代の作品が今日でもディスクで試聴可能であるとは思いがけないことでした。モーツァルトになる曲目のソフトをこれだけ収集し、聞き込んだ方を私は知りません(政治学者、丸山眞男氏がモーツァルトに造詣が深いことをこの本で初めて知りました)。 モーツァルトがお好きな方は、この本の各章の最後の部分だけを読まれても、次に買うべきソフトを決める際に、重要な参考情報となることは間違いありません。

さて、以前この「観照記」で紹介いたしました、岡田暁生著「西洋音楽史」では、モーツアルトを音楽史上どのように評価していたでしょうか。岡田氏は、封建貴族階級支配が打破さる契機となった1789年のフランス革命に視点を据え、その活動時期から、「モーツァルトは『革命以前の人』、そしてハイドンは『革命後もしばらくは活動していた人』であるのに対して、ベートーヴェンは『革命後の人』であるとし、封建貴族社会最後の花としてモーツァルトを、近代市民社会開始のシンボルとしてベートーヴェンを位置づけています。

岡田氏は、クラシック音楽が全面的に開花するロマン派以前の、ウィーン古典派に属する作曲家の中で、ハイドンをよく言われるように「交響曲の父」としてだけでなく、「弦楽四重奏の父」でもあったと評価する一方で、モーツァルトをオペラにおける音楽表現の劇的な改革者であり、「音楽史上で最大の名手」であったと評価しています。

この本の著者、中野氏は、このロマン派と古典派の違いをこう表現しています。

ロマン派とは、作曲家や演奏家が個人的な体験や感傷を音で綴るという行為が、「芸術」として認められるようになって初めて生まれた、市民社会の流派なのである。<中略>だがモーツァルトの時代、音楽家と聴き手は同じ階層の人間ではなかった。聴き手である貴族にとって、音楽家はあくまでも“使用人”でしかない。

「モーツァルトの悲劇は、もって生まれた才能が勝手に一人歩きを始めた時点から始まった」と著者は述べます。しかし、この「一人歩き」こそ、ベートーベンに先駆けた「作品に託して自分の思いを語り、そして聞き手に共感を求め、自らの生き甲斐とする」、その後の時代で言う「音楽芸術の行為」そのものであったわけです。その意味で、モーツァルトの天才性とは、オペラにその後今日に至るまで変わることのない劇的な表現形式を確立したこと以上に、時代に先駆けた音楽芸術のあり方を史上初めて表現しようとしたことではないのでしょうか。

音楽家の父親(レオポルト・モーツァルト)に厳格な教育を受けることのできた環境に育ったとはいえ、八歳にして、今日に至るまで演奏されるに足るレベルの作曲を開始でき、その時点ですでに様々な楽器演奏に長じていたことが天才なのではなく、故郷ザルツブルグを本拠地として欧州中の音楽の都を苦難の旅を幾度となく経験する中で、三十歳代に至り、時代の要請する最先端の音楽表現をオペラの中に創り出し、それ以上にその時代を乗り越えて、次の時代に始めて受け入れられる悲しい運命を持った芸術的な音楽表現をとらざるを得ない音楽的な生き様にいたったことこそが、モーツァルトの天才性だった、と語っているように読める著作です。

日本でも好評を博した映画、「アマディウス」は、時の権力者に認められた宮廷音楽家サリエリが、モーツァルトの天才的な音楽性に嫉妬するという構造から制作された、映像、音楽ともにすばらしい作品でした。しかし残念ながら、フランス革命前の封建貴族階級の支配するこの時代、権力者に抱かれた音楽家は、後の時代に評価されるかもしれない芸術性を嫉妬する理由もなければ、その能力も必要なかったのです。映画「アマディウス」は、市民社会以降の、今日のわれわれが今日の観点から創作した思い込み作品であることが、この著作が教えてくれるもうひとつの教訓でもあります。

モーツァルトを聴く上で、ソフトの選択にも、またその曲目の背景を知っておく上でも、最適な音楽ガイドであることは間違いありません。