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第132回 2011/10/04

「9月の台風、お見舞い申し上げます」

 9月3日に上陸後、紀伊半島に壊滅的な被害を与えた台風12号は、死者73名、行くえ不明者19名(10月1日現在)という人的な被害にとどまらず、一時断水世帯は約5万4千戸、電話回線は一時約4万7600回線が不通となり、1ヶ月たつ今現在なお和歌山県下では約500回線が復旧待ちの状態と報道されています。その台風12号の被害の復旧作業が端につき始めた9月21日、規模としてはさらに大きい台風15号が、東海地方(静岡県浜松市)に上陸、日本列島を北東方向に縦断して千島近海で熱帯性低気圧に変わるまで、東海、関東、東北、北海道地区と、より広範囲に災害をもたらしました。まだ被害の全容は分かっていない程です。

 この二つの台風により、被害を受けられた皆様方には心からお見舞い申し上げます。今年は、3月の東日本大震災に続いて、9月の二つの台風の上陸による強風、集中豪雨による甚大な影響と、通常では予測もつかない大きさの自然災害が重なっています。西暦2011年、辛卯(かのとう)の年は、生涯これを体験した私たちの記憶に最悪の自然災害の年として刻まれることでしょう。

 9月下旬、読売新聞の(確か)夕刊に、生物学者の福岡伸一氏(青山学院大学教授)が分かりやすい文体で「子供っぽさ」に関する文章を寄せていました。福岡氏の著作については、「もう牛を食べても大丈夫か」と「生物と無生物のあいだ」を当コラムの「みだれ観賞記」でご紹介したことがあります。福岡氏の生命の在り方(動的平衡)にかんする考察には、深く感銘するところが多いので、一気に読んでしまいました。

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 さて、氏は、初めてロシアを訪問しました。その目的は、「キツネのペット化」を研究する科学者(たち)との話し合いです。シベリアの首都ノボシビルスクのアカデムガラドクは、ロシア国立研究所が立ち並ぶ学術都市として有名です。その機関の一つでなされている研究が、「野生動物が人間に家畜化されたプロセス」であり、その対象がキツネというわけです。そこでは、ヒトに慣れた振る舞いを見せるキツネを次々と交配させる実験を繰り返した結果、交配10代目で18%が、交配20代目で35%が、そして50世代では85%のキツネが完全にペット化しているという結果を得ています。

 ぺット化されたキツネの外的な特徴は、顔面の色素の抜けた白色毛が増え、尻尾と足が短くなり、頭蓋骨に占める顔の割合が大きくなり、耳が柔らかくなり垂れさがるようになったというもの。これは、端的にいって、子供の状態のキツネです。つまり身体的な発育の遅延が、新たな振る舞いを純化させたのです。

 これは、遺伝子の突然変異による進化とは別の要因が進化を促進させるものとして存在することを示しているというわけです。福岡氏は、読売新聞への寄稿で、女性に振られてめそめそしている男性に、(米国もしくは英国の)女性が、"Grow up"(大人になりなさい=子供ね)という言葉を投げつける例を引いて、子供のままでいることは決して悪いことではないと揶揄しています。実は、サルのヒトへの進化にこの点が大きな意味を持つのではないかと示唆して氏はいったん筆を置いています。おそらく、シベリアでの氏の討論とその結果は、別の論文で公表されることでしょう。以下はその補足です。

 形質の相違による交配実験ではなく、個体の振る舞いによる交配実験の結果、ヒトへの馴化がわずか40年で得られたことは、メンデルの遺伝法則とは別の要因があることを示しているといえます。現在のペットの代表犬は、狼からペット化されるのに(狼と犬の遺伝子はまったく同一)1万5千年を要したといわれていますが、野生のキツネのシベリアでの実験は、人為的な交配でその過程が極端に縮まることを示しています。その結果、ヒトのような知的存在に近づく鍵は、幼児性の維持にあったという次第です。

 ヒトの遺伝子に98%近いとされるチンパンジーは、わずかな期間(2,3年か)で大人になるのに対して、ヒトは生まれてから簡単な歩行までに1年前後を要し、大人との意思疎通を図る会話が成立するのに更に1年前後、身体的な意味での大人に近似するのに10数年を要します。この子供時代の長さが、知性の発達の基本的な要因であり、サルからヒトへの進化の鍵とも考えられるというのです。

 通常、動物の進化は遺伝子の突然変異によるものとされますが、その確率は1億分の1だといわれています。現在のヒトの直接の祖先は数10万年前にアフリカで誕生したといわれています。地球上に生命が誕生したのが40億年前とすれば、遺伝子の突然変異を待っていたのでは、実際に起こった進化の経過にははるかに追いつかないのです。

 遺伝子の変化はまったくないままでも、ヒトになつき芸までする変化は、Epigenetics (エピジェネティクス=遺伝子外)とよばれ、この特殊な働きを示す要因が、もともとの種にはなかった、新たな知性を獲得できることを示唆していると考えられるのです。

 DNAの二重らせん構造は、1953年のジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックによって提唱された(1962年にノーベル賞を受賞)ことは、あまりにも有名です。その後の様々な研究は、この構造が基本的に正しいことを証明し、それから50年を経た2003年、DNAより構成されるヒトゲノムの完全な配列の解析がなされました。遺伝子のゲノム配列が完全に解き明かされた現代、遺伝子を機能させる要因が何なのかという問いかけが新たになされています。たとえば全く同じ遺伝子であるにもかかわらず、ガンにかかるヒトと、かからないヒトがいる。それは遺伝子を通常とは異なった発現形態に導く遺伝子外の要因があるからです。その要因は、エピジェネティクスと呼ばれるのです。とりわけ医療部門の最先端で研究されているのがエピジェネティクスの研究なのです。

 病理学を遺伝子解析から進めてきた研究と、動物のペット化の要因を探る研究は、一方で生物進化の要因をダ−ウィンレベルから一挙に高める可能性を秘めた、エピジェネティック要因の解析という同じ課題にたどりついたようです。スターリンから追放された遺伝学者ドミートリ・ベリャーエフ(スターリンは、遺伝を認めなかった)の開始した研究は、その後、後輩によって受け継がれ、遺伝要因の研究の新たな段階にはいっており、その先にはまだまだ広大な世界が広がっているようです。

注:写真は、福岡伸一オフィシャルブログ「福岡ハカセのささやかな言葉」から借用しました。

 

 




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